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 戦国ブームである今、この名前も以前よりは広まっている事を信じたい。西国の覇者であり、謀神と恐れられた毛利元就の長男。それが毛利隆元その人である。有名な逸話『三本の矢』の三兄弟の長兄です。

 この隆元。三兄弟の仲では一番知名度が低い。何せ江戸時代でも存在を知られていなかったほどである(家系譜から削除されていた)。弟の吉川元春、小早川隆景(名高い毛利両川)の方がはるかに有名だし、隆元の長男である毛利輝元にも知名度は負けている。
 何故そんなに知名度が低いのか。

1.親父が偉大すぎたから。
2.中途半端なところで急死してしまったから。
3.弟達が素晴らしい活躍をしたから。

 大体上記の理由で影が薄くなっています。

 1番については言うまでもなく。隆元自身
も『名将の下には不遇な子が生まれる』と嘆いています。二代目共通の悩みですよね。

 2番について。隆元は毛利氏の仇敵である尼子氏との交戦に向かおうとした所で急死してしまいます。原因は不明で、暗殺説も根強く残っております。享年40歳。父・元就は息子の死に尋常でないほど嘆き悲しんだと伝えられています。

 3番については致し方のない事なのですが、隆元の急死により毛利宗家の家督は隆元の嫡男である輝元が継ぐ事に。しかし輝元は若年であり、大大名となった毛利家を纏める事はまだ出来ない。そこで元就は後見役になり、元春・隆景を始めとする一門に輝元の補佐を命じます。
 元春と隆景はいずれも名将であり、一門や家臣と結束して信長・秀吉の激動時代を巧みに渡り歩いて毛利家を守り通しました。しかし皮肉な事に弟達の活躍でますます隆元の存在は忘れ去られてしまう事になります。

 ただ隆元も決して凡将だったわけではなく、父の中国経路に従事してこれを陰ながらよく補佐していました。九州で強大な大友氏との交戦を一人で受け持った時、見事合戦に勝利して後に有利な展開に運んでいます。

 内政・財務能力にも長けていたようで、隆元の死後に毛利家の収入が大幅に減少し、国人たちとの折衝にも障害が出ています。元春・隆景らは隆元の死でその存在の偉大さを再認識し、毛利本家への忠誠を一層高めたといわれています。

 温厚で篤実な性格。自己卑下が激しく、偉大な父と有能な弟に挟まれて苦悩する二代目。地味で目立たない隆元ですが、毛利大好きな私の中では毛利武将の中で一番好きで、是非とも長生きしてほしかった武将ベスト3に入ります。

 最後に三兄弟を花木に例えた言葉を紹介しておきますね。

隆元:良将として花王の”桜”
元春:氷雪をしのいで春を告げる”梅の花”
隆景:どの木よりも緑を発する”柳”


◎リガメの一言
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「俺の長寿を分けてやりたかったぜ!」






( ゚Д゚) 「出来る事ならタイムスリップして分けてやってください」


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