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 大陸から仏教が伝わり始めた頃、大和朝廷内では日本古来の神道派と大陸から伝わってきた仏教派で対立していました。

 神道派の代表が物部氏。朝廷において大連の役職に尽き、精強な軍事力をもって大王(天皇)を補佐する立場でした。
 物部氏に味方する強力な一派が中臣氏。宗教を司る役職につき、古来より神道を受け持ってきた家でした。

 対する仏教派の筆頭が蘇我氏。朝廷における財政を管理する大臣の役につき、朝廷一の財力を誇っていました。

 この両者は大変仲が悪く、世代が変わっても対立は続いてついに宗教戦争ともいえる戦いに発展します。
 詳しい経緯は省きますが、人数の点で言うと蘇我氏が圧倒的に優位。厩戸皇子(後の聖徳太子)を始めとする諸王子、大伴氏や阿部氏、春日氏などの豪族達が味方に付いたからです。

 対する物部側は殆ど味方がいません。常に味方だった中臣氏は合戦前に暗殺されています(子孫は名高い中臣鎌足)。人数の点では圧倒的不利ですが、物部氏は軍事を持って大君に仕えてきた家。その精強さで蘇我連合軍を三度も押し返します。
 しかし運悪く物部守屋(物部の当主)が射殺され、物部軍は浮き足立ち壊滅します。このとき厩戸皇子は戦勝した暁には四天王寺を立てる事を誓ったとされています。

 こうして物部氏は歴史の舞台から退場し、蘇我氏を中心に仏教が広まっていくわけです。
 僕的には蘇我氏も好きだけど、物部氏のほうが好きです。ついでに中臣もね。なぜかと言われても、何となくとしか言いようがないんですけどね。負けた側には何かと情が移るものです。

◎リガメの一言
23eb27af.JPG


「どうでもいい内容のうえに長い」






( ゚Д゚) 「スマンね」



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